大日向村又名Ôhinata-mura
昭和11(1936)年の長野県南佐久郡大日向村は俗に半日村と呼ばれる荒廃した日陰の農村だった。年の瀬も迫り、村長・由井啓之進(市川笑太郎)は滞納した税の督促のため村を回っていた。滞納のほか、村には多額の総借金がある。貧しい農家に滞納した税金を支払う余力はない。村長は材木問屋である油屋の村野(橘小三郎)に、土木費の立て替えを厳しく催促されて辞職する。専務理事の堀川清躬(きよみ)(河原崎)は、堀川のかつての主人の息子で、東京の保険会社に勤めている浅川武麿(中村翫右衛門)を帰郷させて村長に迎え、村政の立て直しを図ることにした。政府が熱心に主張している満洲大陸への開拓農民運動こそ村を甦生に導くという意見で、堀川と浅川は合意した。地主の天川治之助(坂東調右衛門)、笹屋貫助(坂東みのる)、油屋の村野らは、分村計画に懐疑的だった。また、先祖伝来の土地に愛着を持つ老...